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ふるさとを返せ 津島原発訴訟② 原告の叫び

私(弁護士・飯塚)が弁護団員の一員として携わっている「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」は、平成27年9月、福島地方裁判所郡山支部に提訴されて以来、本年7月までに8回の裁判期日が開かれています。この裁判では、放射能汚染の酷い帰還困難区域に指定されている福島県双葉郡浪江町津島地区の住民約570人が故郷の除染を求めています。

裁判期日当日は毎回、裁判所の法廷に向かう前に、公民館から30分ほど、情報を隠蔽し、責任を取ろうとしない国・東電に対する怒りとふるさとと生活を返してほしいという切実な思いを郡山の街でデモ行進をしながら訴えています。雪の降る寒い冬も、汗が止まらない灼熱の夏もです。

そして、毎回の裁判期日では、原告の方々が法廷の証言台に立ち、自分たちのふるさとへの思いや避難生活の辛さを裁判官に向けて全身全霊で訴えています。原告らの話を聞き、うっすら泣いているような裁判官もいました。

今回は、私が担当する原告の60歳代の女性が、本年7月14日の裁判期日の法廷で話した内容を要約して、ご紹介します。

 

私は、生まれも育ちも根っからの津島(注 福島県双葉郡浪江町津島地区)人です。

私達のふるさと津島は、素晴らしいところです。

山があり、水が清く、花が咲き、人はやさしい。

そんな浪江町津島、福島が奪われてしまったあの日、忘れもしない3月11日。夫の誕生日がふるさとを奪われた日になりました。

夫と義理の母と福島市内で避難生活を始めて6年が経ちました。

ふるさと津島にいたころは、夫はDASH村(日テレ)の手伝いや造園の仕事などに打ち込んで、充実した生活をしていました。

大正生まれの義理の母(90歳代)は、自分の好きな花の手入れや農作業を手伝い、毎日楽しく過ごし、何も心配はありませんでした。でも、今は、人の手を借りなければ、生活ができないくらい弱ってしまいました。それほど悪くはないのですが、アルツハイマー型の認知症になり、要介護2の状態です。

私は毎日、食事や入浴など、母の日常生活のお手伝いをしています。食事をよくこぼしてしまうので、私がおかずを取ってあげたりしようとすると、母は、「ばかにするんじゃねぇ」、「こぼしてねぇべ」と私を怒鳴りつける毎日です。

母は、故郷津島を奪われ、「死にたい。羽附(注 浪江町津島地区にある大字名)に戻って死にたい。」とよく言っています。そんなときは、いつも以上に気をつけて、母から目を離さないようにします。母の生きがいそのものを奪ったのが原発事故なのです。もし、原発事故が起きず、今もみんなで津島の自然と家族に囲まれた生活をしていれば、母がこんなに弱ってしまうことはなかったと思います。

私も介護のストレスで、円形脱毛症になってしまい、内科の病院に通院をしています。

母の面倒を見ていても、本人や夫から感謝の言葉も気持ちも感じ取れません。夫は震災以前から腎臓病をわずらい、週3回透析に行っていますが、その送り迎えも全て私です。

夫は、津島の頃は、気遣いができる人でした。本当は感謝の気持ちを持っていても、それを伝える心の余裕が避難生活にはなくなってしまうのだと思います。家族の心のつながりも薄くなりました。介護や世話をしても、それが当たり前と思われているのが辛くて、死のうと思ったこともあります。

津島では、アットホームだった家族で喧嘩もなかったのに、どうしてこんなになってしまったのだろうと悔しく思います。原発事故がなければ、今も喧嘩もせず津島で楽しく暮らしていたはずです。

津島にいた頃は、いつでも自由に自分の仕事ができ、自然を眺め、癒やされることができました。私の津島の自宅では、目の前に日山(ひやま)という津島五山の一つの山が広がっています。登ると冬の天気の良い日には富士山も見ることのできる美しい山です。

でも、福島のまちなかではそんな景色を見ることはできません。避難先のマンションでは息の詰まる生活です。

私は、津島にいた頃、辛くなると、自宅の目の前に広がる日山を眺めながら、民謡の「相馬流山」を歌います。

今も、目をつぶると、自宅前の広がる日山の姿が浮かび、「相馬流山」を歌いたくなります。

♪相馬流れ山
習いたかござれ♪
~相馬藩の民謡「相馬流山」~

この曲を大きな声で歌うと、体じゅうが掃除されるように、清々しくなるのです。

3月11日の大震災と原発事故から、ふるさと津島を離れ、避難することになり、長い苦しい避難生活となりました。生活基盤も奪われ、母は認知症になり、家族の気持ちはぎくしゃくし、津島へ帰る目途も立ちません。裁判官のみなさま、私達の故郷に帰れない気持ち、家族が壊れていく気持ちをよくわかってほしいです。お金の問題ではありません。私達家族のふるさとを返してください。